めっき屋人生写真館
忠ちゃん奮闘記
1940 誕生
1968 寒ぶな釣り
1945 戦時中と爆弾
1968 母のテレビ感電死?
1948 震災とおばんどこ(父の実家)
1950 ご飯たき
1953 父の病気
1950 父の話と思い出
1951 父とグローブ
1962 1回目の養子の話
1954 父の死
1960 お中元 お歳暮の話
1961 ボーナス
1959 松原めっき時代の話
1960 涙のリアカー
1961 なぜ めっき業を
1962 大起工業勤務時代
1963 結婚
1963 新婚旅行
1963 38豪雪福井に帰る
1963 創業初めての売上
1964 中古品
1965 励まし
1965 武田機械の話
1965 お客様とは
1965 早川社長の話
1968 親方来社
1967 初めての借金
1968 母に言った言葉
1969 冬の西瓜
1970 次男の交通事故
1972 福井弁
1973 大きな仕事
1977 勝たなければ意味が無い
1975 電子部品めっきのきっかけ
1980 壊し魔
息子たち
長男・肇の昔話
次男・卓二の昔話
三男・忠幸の昔話
創業当時を語る
早瀬さん(元常務)の昔話
村尾さん(元工場長)の昔話
清川敏部長の昔話
ISO-14001,9001認証取得 ISOへの挑戦 清川 卓二
会長語録  清川 忠
その他
<< 前項┃   ┃次項 >>
 忠ちゃん奮闘記 / 1963 38豪雪福井に帰る

 昭和38年1月末の頃、大阪より帰福した。皆さんご存知のように、ちょうど38豪雪の年であった。当時の新聞の見出しに、ついに百年来の大雪、福井2メートル13センチとトップで記載されていた。その記事の中に、ユーモアであろうが、通行人電線につまずくと書かれていた。それほど多く降った云うことであろう。
  大阪より発車した汽車が米原で何時間も停車してしまった。ようやく動き出し敦賀駅に着いた。敦賀で一夜汽車の中で寝ることになった。ようやく動き出して4〜5時間後に福井に着いた。ホームを出ると、がかみやの四つ角には福井で初めての信号機があったが、その信号機の電球に手が届いた。革靴で帰って来たため、どうしても長靴に履き替えなければ家に帰れない。また大阪より中古の機械を持って帰ったため家まで運ばなければならない。そこで福井県バス始発場前の履き物店で長靴とわらむしろを買って、機械をそのわらむしろで包み、引っ張って帰った。

  帰り道の車道は十分除雪はしてなかった。歩道の除雪はかなり進んでいたと記憶している。人々は2階の窓から出入りしていた。我が家に到着、我が家は兄と母とで何回も屋根の雪下ろしをして守っていてくれたため、無事であった。
 大変な年にめっき業の開業であった。



<< 前項┃   ┃次項 >>