めっき屋人生写真館
忠ちゃん奮闘記
1940 誕生
1968 寒ぶな釣り
1945 戦時中と爆弾
1968 母のテレビ感電死?
1948 震災とおばんどこ(父の実家)
1950 ご飯たき
1953 父の病気
1950 父の話と思い出
1951 父とグローブ
1962 1回目の養子の話
1954 父の死
1960 お中元 お歳暮の話
1961 ボーナス
1959 松原めっき時代の話
1960 涙のリアカー
1961 なぜ めっき業を
1962 大起工業勤務時代
1963 結婚
1963 新婚旅行
1963 38豪雪福井に帰る
1963 創業初めての売上
1964 中古品
1965 励まし
1965 武田機械の話
1965 お客様とは
1965 早川社長の話
1968 親方来社
1967 初めての借金
1968 母に言った言葉
1969 冬の西瓜
1970 次男の交通事故
1972 福井弁
1973 大きな仕事
1977 勝たなければ意味が無い
1975 電子部品めっきのきっかけ
1980 壊し魔
息子たち
長男・肇の昔話
次男・卓二の昔話
三男・忠幸の昔話
創業当時を語る
早瀬さん(元常務)の昔話
村尾さん(元工場長)の昔話
清川敏部長の昔話
ISO-14001,9001認証取得 ISOへの挑戦 清川 卓二
会長語録  清川 忠
その他
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 忠ちゃん奮闘記 / 1945 戦時中と爆弾
 
 戦時中、空襲警報のサイレンが鳴ると防空壕に入った。
終戦直前、和田地区にも大量の焼夷弾や爆弾が投下され大火となった。こうなると、防空壕に入れる状態でなかった。家族揃って田んぼの方へ逃げた。その時何故か、真新しい下駄を履いていた。

 町内は火の海、空は真赤であり、その上空をB29爆撃機が錫のテープを撒き散らしていた。火に照らされてきらきらと光っていた。

 何故か分からないが橋の下に逃げ込んだ。その時真新しい下駄を川に流してしまった。
その時の様子が今でも頭に浮かんでくる。

 いうまでも無いが、和田中の大半が焼失してしまった。焼け跡から黒焦げになった米が大量に出て来た。その中から、食べられそうな米を取り出し食べた記憶がある。

焼けて丸裸とはこの事である。



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