めっき屋人生写真館
忠ちゃん奮闘記
1940 誕生
1968 寒ぶな釣り
1945 戦時中と爆弾
1968 母のテレビ感電死?
1948 震災とおばんどこ(父の実家)
1950 ご飯たき
1953 父の病気
1950 父の話と思い出
1951 父とグローブ
1962 1回目の養子の話
1954 父の死
1960 お中元 お歳暮の話
1961 ボーナス
1959 松原めっき時代の話
1960 涙のリアカー
1961 なぜ めっき業を
1962 大起工業勤務時代
1963 結婚
1963 新婚旅行
1963 38豪雪福井に帰る
1963 創業初めての売上
1964 中古品
1965 励まし
1965 武田機械の話
1965 お客様とは
1965 早川社長の話
1968 親方来社
1967 初めての借金
1968 母に言った言葉
1969 冬の西瓜
1970 次男の交通事故
1972 福井弁
1973 大きな仕事
1977 勝たなければ意味が無い
1975 電子部品めっきのきっかけ
1980 壊し魔
息子たち
長男・肇の昔話
次男・卓二の昔話
三男・忠幸の昔話
創業当時を語る
早瀬さん(元常務)の昔話
村尾さん(元工場長)の昔話
清川敏部長の昔話
ISO-14001,9001認証取得 ISOへの挑戦 清川 卓二
会長語録  清川 忠
その他
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 忠ちゃん奮闘記 / 1940 誕生

 私は昭和15年9月6日誕生である。父・堺と母・まつのの二男一女の次男として生まれた。
お姉さんの清子は3歳で亡くなったそうです。

 誕生にまつわる逸話がある。9月と言えば秋の取り入れの真最中であった。稲刈りの最中に破水が始まったそうです。産み月としては2〜3ヶ月早い、おかしいと思いお産婆さんの所には行かず駅前の産婦人科の病院へ荷車に乗せて父親が引いて行ったそうです。病院に着くとすぐ生まれたとのこと。

 私は片手にすっぽり入る小さな未熟児で生まれたそうです。お医者様が注射を打ち両足を持って逆さにして、手の平で何度かたたいたそうです。すると真黒な私がみるみるうちに赤くなり、息を吹き返し大きな産声を上げたと聞いている。

 昭和15年頃は普通であれば近くの産婆さんで生む時代ですので、「お母さん、この子は死んでいますよ」と言われても仕方がなかったかも知れない。

 母のとっさの判断で病院へ駆け込んだことで、今日の私があるのだと思う。
感謝している。



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