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 創業当時を語る 早瀬さん(元常務)の昔話 / 電子部品めっき

 たしか56豪雪の年であったように思うが、何月かは記憶にない、突然福井松下様から一度寄せてもらいたいとお電話を頂いた。電子部品のめっきをしてもらいたいとのことで、管理課の田中さんが見えられ「実はこのような小さいチップ抵抗器を現在富山県のメッキ屋で試験流しをやっているが、地のりが悪くやりとりが困難なため地元でやりたいので、清川さんで取組んでもらえないか」ということであった。

  「ところで清川さんでは、工程管理や日々のデータ品質管理の記録はありますか」、「あれば見せてほしい」とのことであった。幸いにして当時は大同工業を通して、本田技研、ヤマハ、カワサキ等の監査が度々行われており、記録書類等が揃って保管されていたので、驚かれたようだった。ここまできちんと出来ているならばぜひお願いしたいとのことであった。数量は量産化すれば1千万〜5千万個ということであったが、数も多いが品物の小さいのには驚いた。

  その頃、我社ではめっき品と言えばどちらかと言うと大物に類する物が多かったせいもあったが、小物も小物、極小(横3.2ミリメートル、縦1.6ミリメートル、厚み0.6ミリメートル)である。これは大きい方で更に小さくなるとのお話を聞いて2度びっくりしたものだ。

 その後間もなくチップ抵抗器の試作品が持ち込まれた。素材はセラミックスで、その上部に抵抗体、両端は電極、抵抗体の上は不導体物質の塗装膜が施してあった。その両端の電極部に部品の機能に合っためっきを施し、その機能性を発揮させるものである。均一性を問われる為めっきをする道具「バレルと言う」等の選定に社長を始めスタッフは随分と頭を痛めたものであった。

 当初は工場の中の狭い所で試作を繰り返していた。ちょうどその頃南隣りの荒井さん宅が転居するので、土地建物を買い取ってほしいとの照会があった。社長は思い切ってそれを購入し、建物は工場造りであったので、その一部を改良して、そこで量産試作を本格的に始めた。2〜3ヶ月の間に曲がりなりにも品質も安定してきた。併せて量産化に向けてのライン化の検討が始まり、試作工場の裏の空き地にプレハブの工場を建てめっきラインが完成した。
 これがチップめっき主動機の第1号であった。いよいよライン上での製造が始まった。

  受注が急激に伸び、当初見込まれていた予想を越えそうなけはいが高まり、2号ラインの増設も余儀なくなり設計に入った。
 ちょうどその頃、福井松下様森田にて協力工場の会合があり、その席上当時の長谷川工場長より「来期は2億生産態勢に入るが対応の心積もりを願いたい」とお話があり、会場が騒然となった。更に「清川さんはこれに対応出来ますか」と聞かれたが、その頃は2号ラインの計画設計段階でもあったので、「私どもは2億以上生産の用意がありますので安心して下さい」と大見えを切った覚えがある。とにかく急速な伸び上がりには、驚いたものである。



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