めっきの発祥は越前・福井 ! !

日本では、奈良の大仏様が最初に鍍金されたものとして定説があります。しかし、これより140〜150年前に鍍金が行われていた史実が明らかになっています。ご存知のとおり第26代継体天皇は6世紀初め頃、つまり1400年以上前の天皇ですが、越前・福井出身であります。57歳の頃大和朝廷に迎えられました。継体天皇が越前で過ごされていた頃、金、銀鍍金されたものが使用されていたということです

福井県には、八基の大型前方後円墳が連なっていることがわかりました。そのうえ、これらの前方後円墳は、4世紀後半から6世紀頃まで、絶えることなく連綿と築かれ続けてきたのです。古墳群の規模としては、北陸随一です。更に、古墳に副葬された遺物にも、注目すべきものがあります。全長90メートルの前方後円墳である 二本松山古墳からは、鍍金(金めっき)と鍍銀(銀めっき)の二つの冠が出土しています。このような金・銀の冠は、やがて日本各地でも取り入れられてゆきます。
この二本松山古墳の金・銀鍍金冠は、日本列島で出土している冠のなかでは最古のものです
越前の大王たちは、大古墳を造る力を持っていただけでなく、大和や近江やその他の地域に先駆けて、新しい大陸文化を積極的に取り入れたのです。この斬新な動きには、日本海の水上交通が大きな役割を果たしてきました。

金めっきをした冠というと、藤ノ木古墳のものが有名ですが、同じ近畿地方でそれよりもう一つ古い金めっき、つまり金銅の冠となると、滋賀県高島町の鴨稲荷山古墳があります。それより更に古い冠、おそらく日本列島で最初に使われたと思われるものが、二本松山古墳から出土されたものです。だから逆にいいますと、金めっきをした冠をつけるという風習は、だいたい九頭竜川流域の二本松山古墳から始まっていると考えられます。ようするに継体天皇が越前から大和へ入っていった道筋を追って、金、銀めっきされた冠が出土していることから、めっきの発祥地は越前・福井ではないだろうか
二本松山古墳出土の王冠
金の王冠
銀の王冠

継体天皇即位1500周年記念

日本最古のめっき冠が復元されるまで

10年前より、清川メッキ工業株式会社 社長 清川忠は、
福井にゆかりのある継体天皇の関係が深い、
福井県にある二本松山古墳から出土した、めっきされた金冠、銀冠の
復元品作成を考えていました。

しかし、復元までの道のりは、険しく、厳しいものでした。
現物を見、当時のものづくり方法を調べ、失敗を重ねて、たどり着いた一品です。
改めて1500年前から続く福井のものづくりのすごさと、
受け継がれているものづくりの精神を感じることのできた日々でした。

この物語は、めっきに誇りと夢を注ぎ込んだ、一人のめっき屋の社長の物語、
そして、仕事も遊びも徹底的に!との清川メッキのDNAの物語です。

ここから始まりました

1997年2月 全鍍連(全国鍍金連合組合会報誌)
10年前より、「鍍金(めっき)」の発祥は越前・福井と確信していました。
これは、めっき屋として起業した時から、めっきに夢を託し、めっきで夢を実現してきた想いが、めっきの歴史に触れ、ロマンを抱いた瞬間から始まりました。 最先端の技術を語るには、最古の技術を知る必要がある。最先端の道を拓くには、最古の歴史を知っておく必要がある。そんな想いが、この事実にたどり着きました。

わからなずくめのスタート(2007年1月)

復元しようと考えても、

正確な大きさがわからない?
質感や光沢がわからない?
飾り具の付け方がわからない?

わからなずくめのスタートでしたが、文献により、特徴、大きさ、製法などを調べていきました。



わからないのであれば、現物を見に行こう!(2007年2月)

文献だけでは、得られる情報には限界がありました。
それでは、現物をみよう!
まさに現場、現物の精神が清川社長を動かしました。

熱意というものは、本当に伝わるもの!運は、やはり掴むもの!国立博物館に保管されている冠が、たまたま期間限定で展示されていました。
しかし見るだけでは、正確な大きさや質感を復元するには、難しい!何とか写真として、映像として残せないか。



困っているときは、社長の場合は、必ずよいタイミングで、助けてくれる人がいます。いや、助けてくれるのではなく、チャンスを呼び寄せていると感じました。国立博物館は、個人での撮影は、許可が下りませんでしたが、テレビ局の取材として「文化を伝える使命」としては、特別許可がおりました。テレビ局が、冠作りを取材してくれることになりました。テレビ局のクルーと共に、しっかり、映像と感性に焼き付け冠の作成開始です。

型紙づくり(2007年3月)

まずは、現物で測定してきた大きさで型紙を作りました。銅箔をたたいて伸ばすため、伸びた大きさを計算しての作業です。



銅箔を切り抜く(2007年3月)

はさみにもこだわりました。
武生刃物職人が伝統工法で作ったはさみを使用!

いくつもの試作、そして失敗、思うような斬り後にはならず、何度もはさみや切り方を変えての挑戦でした。



銅箔をたたいて伸ばす(2007年4月)

たたくことで、丸くなり、独特の質感がでます。

どのような槌で、どうようなたたきかをすれば、あの質感がでるのか?そして、目標とする大きさで、たたきを終えることができるか?
仕事に合間を見つめ来る日も来る日も、叩いて、叩いて!苦悩の日々が続きました。

そんな社長の姿を見て、お客様は興味津々。
「社長、何やってるの〜?」
その一言をきっかけに、忠ワールドへと引き込まれ、その後は笑顔でお帰りになるお客様。
復元プロジェクトの進捗状況を楽しみに、何度も会社に足を運んでいただけるお客様が続出しました。



形は感性<完成>(2007年6月)

ようやく、形が完成です。
イメージしていた大きさ、質感、丸み、めっき後の姿を創造しての作業でした。感性なくして、完成はしないとあらためて感じました。

この一連の仕事は、社長から社員へは、特に説明もなく、淡々とお客様との会話や、取材を受けた新聞やテレビから伝わっていました。



社員のみなさんは、そんな社長の姿を見て、ものづくりの大事な部分(想い、情熱、感性、失敗を楽しみことなど)を感じとっていました。



めっき実施(2007年6月)

本来は、アマルガム製法でのめっきですが、水銀を使用するため、法律上の規制により断念、現在の電気めっき工法により復元を行いました。特にアマルガム法の光沢をイメージして条件を何度も確認しながらのめっきです。まさに、職人技です。


飾り具を付けて完成です。(2007年7月)

金冠のキジの羽と首飾りの曲玉は、インターネットで買いました。 知り合いの美容室に、ロングヘアーのかつらを準備してもらい、当時の髪結いと展示にも徹底にこだわりました。

継体天皇に!(2007年8月)

そして、冠は、かぶってこそ本当に当時を復元したと言えると考え、服装も、イラストを元に家族で作成!
知り合いの写真館で、継体天皇となり、おごそかに、冠の重さ(責任、権限、重量)を感じ撮影を行いました。
文化継承は、こだわりと気持ちが大事です。

構想10年 制作6か月

構想10年 制作6か月にて、ついにこの物語の一つの区切りがつき、日本最古のめっき冠が復元されました。この冠は、福井県立歴史博物館、福井市郷土歴史博物館をはじめ、多くのイベント、施設、展示会などで、貸出展示を行いました。2セットで、延べ150日の展示でした。また、新聞、雑誌等に20回掲載され、継体天皇の格好をして、「めっき教室」などを行い、子ども達に、めっきの歴史や福井の歴史に付いても知ってもらう機会ができました。

10年前のめっきの歴史に付いての「面白いと感じた発見」が、福井の歴史につながり、ものづくりの歴史につながり、そして、未来の夢につながることをこの物語は示していると思います。

清川メッキ経営理念「自由なる創意の結果が、大いなる未来を拓く」この理念は、めっきに惚れ込み、めっきへの愛情への徹底したこだわりから生まれたものです。清川忠が社長として、45年前にめっき屋を始めたときから、すでに1500年前の想いが受け継がれていたと感じます。
そして、このめっきを愛し、誇りに想う気持ちが、清川メッキ社員一人一人に 受け継がれ、おおいなる未来を拓く原動力となっています。 これ想いが、清川のブランドです。